補助金に頼らず
民間でアートを支援する拠点をつくる
クリエイティブ拠点/The CAVE
Writer石神 夏希
「The CAVE」は2016年10月、横浜を代表する繁華街のひとつ、伊勢佐木町の玄関口にオープンした民間のクリエイティブ拠点です。商店街で十数年ものあいだ空室だったビルの地下空間をリノベーション。補助金に頼らず、飲食事業でお金を稼いで場所を維持し、アーティストやクリエイターの実験的な取り組みに無償(※別途、電気代実費)で空間を提供する仕組みです。
The CAVEができたのは、横浜・伊勢佐木町にある「イセザキモール」入口に建つ築90年のビル「イセビル」。関東大震災直後に「地震でも倒れない丈夫なビルを」と建てられ、戦災や米軍の接収(このあたりは戦後、アメリカに占領されていました)も生き延びた歴史的なビルです。
この地下空間は十数年間、ビルオーナーの意向で空室になっていました。ですが建物は、使わなければ朽ちてしまいます。貴重な空間を残すためには「生きた形で使うこと」が大切。
今回、4代目オーナーが発起人たちの「民間の力でアート支援を」というコンセプトに共感したことでプロジェクトが実現。横浜で一番華やかな繁華街だった頃の面影を残す古い壁画、洞窟のように経年変化した空間にちなんで、「The CAVE」と名づけられました。
下左)戦前らしきイセザキモール。中央の白いビルがイセビル(出典:横浜市史料室)
下右)取り壊された壁の下から現れた、年代不明の壁画(撮影:Daisuke Urano)
上)株式会社The CAVEの設立メンバー4名。左から伊藤(市議会議員)、岩崎(不動産事業者)、石神(劇作家)、嶋田(建築家)。最年少の岩崎が代表取締役に就任した(撮影:Seungmin Lee)
このプロジェクトは不動産、建築家、横浜市議会議員、アーティストという専門分野も個性もバラバラな4人が発起人となって立ち上げました。
これまで横浜市では「創造都市政策」に基づいて、補助金を使ったクリエイティブ拠点開発と運営が長年行われてきました。こうした拠点が若いクリエイターの起業やアーティストの実験的な活動を後押ししたおかげで、横浜からさまざまな才能や作品が生まれました。
リノベーションまちづくりに取り組む建築家の嶋田も、劇作家の石神も、10年ほど前に横浜市の創造都市構想の流れを受けて生まれたクリエイティブ拠点「北仲WHITE」に入居していたひとりです。当時、さまざまな面白い人たちとの出会いに大いに影響を受けたのはもちろん、十年近く経ってから再び出会ったり、一緒に仕事をしたりすることもしばしば。ある時代と空間を共にすること、つまり「場」の力を実感していました。
「The CAVE」はそんな二人の「北仲(WHITE)みたいな場所、欲しいよね」という会話から始まりました。横浜のまちに育ててもらったからこそ、まちのために何か恩返しをしたい。一方で、「クリエイティブ支援とて、補助金がなくては成立しない仕組みは、サステナブルとはいえないのでは」という問題意識がありました。
創造的なまちが持続的に発展していくためには、民間の力で維持される自立した拠点も必要です。すでにあるさまざまな拠点と連携しながら、持続可能なやり方で、アーティストやクリエイターを支援したい。
そんな思いに共鳴した、横浜市議会議員でリノベーションスクール卒業生でもある(!)伊藤大貴がジョイン。伊藤は議員という立場から、横浜の政策に「稼げる公共」といったリノベーションまちづくりの観点を取り組むべく奮闘していました。こうして3人のチームで「横浜に、民間の力でクリエイティブ拠点をつくる」プロジェクトが発足したのです。
上)改修前の空間。「The CAVE」という名前は全会一致で即決だった(撮影:Daisuke Urano)
ところが物件探しが難航し、プロジェクトは座礁寸前。そんな時に出会ったのが、綱島で不動産事業を営む岩崎裕一郎でした。
結婚を機に家業として不動産業を継ぐことになった岩崎は、エリア価値が下がり続ける自社の土地や物件を何とかしようと模索を続けていました。折しも嶋田の著書である『欲しい暮らしは自分でつくる ぼくらのリノベーションまちづくり』(日経BP社)を読んでいたところ、「公開ゴーストライター」としてほぼ全編を執筆した石神が、偶然にも岩崎の物件に入居。岩崎の取り組みを知った石神に誘われる形でプロジェクトに参加しました。
その岩崎が独自のネットワークを使い、加入から約1週間で持ち込んだのが「イセビル」でした。JR関内駅のほぼ目の前、歴史あるイセザキモールの玄関口に建つ築90年のビルの地下空間。とんでもないお宝物件です。聞けば、オーナーの意思で賃貸市場に出すことはせず、信頼する不動産管理業者に預けていたそうです。
まるで遺跡や洞窟のようにも見える空間は、そこに立つ人の想像力を刺激する圧倒的な個性を持っていました。すべてを「まっさらのピカピカ」にしたい人にとっては、ただただお金と手間がかかる場所。けれど別の視点で見れば、世界中探しても他にどこにもない価値ある空間です。発起人たちは空間の力をそのまま活かすことで全会一致し、その場で「The CAVE」という名前を即決しました。それは長い長い年月といくつもの偶然が重ならなければ、生まれなかった奇跡でした。
上)ジャンルを横断して活躍するアドバイザリーボードの面々(提供:The CAVE)
物件と出会ってすぐに発想したビジネスモデルは「運営事業者として株式会社を立ち上げ、ビルオーナーから賃借したスペース(イセビル地下)をコワーキングスペースとして転貸。その家賃で投資回収しながら、クリエイターやアーティストに空間を無償提供するスタジオ」というアイディア。
それと同時に「アドバイザリーボード」という、アドバイザーたちのグループを立ち上げることを決めました。声をかけたのは、不動産・建築・都市を横断する「リノベーションまちづくり」の雄たち。そして、法律、アートなどさまざまなジャンルで活躍する第一線の人たち。
このグループの各メンバーに当初依頼したのは、①The CAVEの運営やプログラムについて知恵やアドバイスをもらうこと、②月5,000円の家賃を支払い、コワーキングスペースをタッチダウンオフィス(LANや電源を備えたサブオフィス)として使ってもらうこと③年に最低1回は自主企画で使ってもらうこと、の3つでした。
その後②に関してはビジネスモデルの転換(STEP04参照)に伴い、アドバイザリーボードのメンバーは優先株式の株主として出資をしてもらう仕組みに変更しました。
共感できる入居者同士を呼び寄せる”磁場”を発生させるためには、世界観や価値観を発信する方法があります。「どんな人たちが集まっているのか/どんな人たちと出会えるか」という顔ぶれも、人の集まる理由になります。また多種多様な業界で活躍するアドバイザーたちとの交流や意見交換は、コワーキングスペースの利用者として想定される「起業したてのクリエイターや若いアーティストたち」にとっても有益なのでは、と考えたのです。
イセビルのオーナーは、コンセプトや事業スキーム、予算計画、アドバイザリーボードの顔ぶれを含めた事業計画をプレゼンテーションに対し、すぐに理解と共感を示してくれました。数字や条件の調整はあったものの、間もなく大筋で快諾をもらうことができました。
左)オーナー自ら全国各地の生産者を訪ね、産直で仕入れる新鮮な野菜が人気(撮影:石神夏希)
右)「伊勢佐木バル333」オーナーの桑原氏。「The CAVE」の空間にオープンした(撮影:岩崎祐一郎)
横浜は長年、現代的な舞台芸術を育んできた歴史があり、国内はもちろんアジアをはじめ世界中からアーティストやプロデューサーが集まります。若手の登竜門的な風土や実験的な試みを許容する土壌もあり、「The CAVE」がクリエイティブ支援の拠点としてオープンすれば、演劇・ダンス、音楽、映画など上演芸術のニーズが高いであろうことは分かっていました。
しかし、こうした上演が行われる施設には「興行場法」の規制がかかります。そのハードルをクリアするためには、飲食店として営業することが望ましい、ということが分かってきました。また、運営という課題も抱えていました。それぞれに事業を抱えるメンバーたちは常駐が難しく、コワーキングスペースの入居者やイベント実施の対応など、「The CAVE」を日常的に管理するスタッフが必要でした。ならば、この飲食店経営者にその両方を担ってもらえないか。
誰か、「The CAVE」のコンセプトを理解して、ここで営業してくれる飲食店経営者はいないだろうか……。メンバーたちは、頭を悩ませていました。
そんな時に出会ったのが、岩崎の自社物件のテナントであり、横浜市関内エリアを中心に展開していた人気店「野菜とお肉のバル333」のオーナー・桑原宏治氏。桑原氏は同エリア内で野毛山のマンションガレージ内に居住者と近隣住民向けのkioskを兼ねたコミュニティスペースや飲食店専門の農直野菜の卸業を運営。また、ITを取り入れ飲食店と農業の関係性を再構築する取り組みなど、ユニークな経営手腕を奮っていました。
「The CAVE」の空間に興味を持った桑原氏が趣旨に賛同し、通常はテナントとして「伊勢佐木バル333」を営業することに。クリエイターやアーティストが使う際は、バルの営業とバランスを取りながら、「The CAVE」として空間を無償提供する、ということになりました。
なぜ、ビジネスで稼いでまで空間を無償提供するのか? それは、アーティストやクリエイターがお金がないからでは「ありません」。利用者にお金をもらって空間を貸す場合、その資金源として利用者が補助金を申請することも少なくない中、「The CAVE」がこうした貸館事業に頼るようになると、間接的に補助金依存体質になり兼ねないからです。
当初ほぼ改修せず使おうとしていたスタジオ部分ですが、床やキッチンを整備し、その分金額が膨らんだ投資回収を、「伊勢佐木バル333」からの家賃でまかなうことに。コワーキングスペースより収益性の高い飲食業に切り替えたことで、ビルオーナーに支払う家賃も増額できました。そして、より「まちに開かれた場所」になったのです。
上)2016年8月に工事前の空間で行われたアートイベントの様子(撮影: ccdn_morimoto)
8月には工事がスタート。と同時に工事中の空間を使って、国際的なアーティストのトークセッションを開催。横浜界隈でアート関連施設の運営やクリエイティブ支援を手がける実践者たちが多く集まりました。これから始まるプロジェクトのお披露目と同時に、改修前の歴史的な空間を見てもらう貴重な機会となりました。
いくら丈夫に建てられたビルとはいえ、内装の損傷の激しさは否めません。特に、貴重な壁画を残すためクリア塗料で保護することも検討しましたが、塗装時に損傷する可能性が高く断念。手付かずの状態で使用することとしました。
こうして、多くの課題にぶち当たりながらも、物件下見から約1年後の2016年10月、「伊勢佐木バル333」、「The CAVE」ともに無事オープン。10月5日には『第1回作戦会議』と称して、「The CAVE」の使い方を考えるトークセッション&パーティを開催しました。
工事開始と同時にFacebookもスタート。掲載したのは改修前の写真でしたが、国内外のアーティストやプロデューサーからもさっそく問い合わせが届き始めました。毎年2月に開催される国際的な舞台芸術見本市『TPAM』のフリンジ会場としても登録された結果、2週間の日程に対し10団体近い問い合わせがありました。ホールや劇場は多いが、オルタナティブスペースの少ない横浜で、確かにニーズがあることを実感する出来事でした。
現在(2016年11月)は、映像・音響機材など利用環境を整えるためのクラウドファンディングに挑戦中です。「The CAVE」は小さな拠点ですが、地域の市民から国内外のアーティストまで幅広い方が活動し、交流できる国際的なハブを目指しています。
「実験的で、創造的な活動」はすぐには理解されなかったり、市場や社会に広く受け入れられるまでに長い時間がかかったりします。新しいものを生み出すには、挑戦、失敗、無駄、完成していないもの、まだ評価されていないものを受け止める「スキマ」のような時間と空間が必要。それが、まちの空室を活用して生まれた「The CAVE」がほぼ無償で空間を提供する理由です。
この場所から、たくさんの実験と出会いが生まれることを願って。「The CAVE」はまだまだ、走り始めたばかりです。
Writer
石神 夏希
クリエイティブ拠点
2017.7.24更新
神奈川県 横浜市中区 伊勢佐木町 1丁目3-1 伊勢ビル地下1階
株式会社THE CAVE