ReReRe Renovation!

建築事務所がパン屋に?
まちに必要なものは自分たちでつくる

パン屋/神田川ベーカリー 東京都豊島区

神田川ベーカリーってどんなところ?

原山 幸恵

Writer原山 幸恵

都電荒川線「早稲田」駅を降りて北へ進むと見えてくるのは、神田川。その川沿いに広がる閑静な住宅街のなかに、2017年2月、「神田川ベーカリー」がオープンしました。

 

運営しているのは、地元の建築事務所やカフェのスタッフ、子育て中のお母さんなど、女性中心のメンバー。開店早々に口コミが広がり、今では地域内外からお客さんが訪れるほどの人気店になっています。

 

どうして彼女たちはパン屋をつくったのか? 店舗の設計・デザインを担当した軍司有佳里さんと店長の正木優美さんに話を伺いました。

 

上)住宅街のど真ん中に佇む神田川ベーカリー。人通りの少なかったエリアに少しずつ賑わいが生まれている(撮影:阿部大輔・林裕介)

 

 

神田川ベーカリーができるまでのストーリー

STEP 01 こんな経緯から始まった

「日々の暮らしを少し特別にしてくれる」パン屋をつくりたい

左)正木さん(左)と軍司さん(右)。本業はパン屋……ではなく、カフェスタッフと設計士さん
右)小さな看板と子ども用の可愛らしい椅子が目印。目の前には公園がある(撮影:すべてリリリリノベーション編集部)

始まりは、2016年5月。豊島区にあるらいおん建築事務所で設計士として働く軍司さんは、ある日、「パン屋つくらない?」と事務所の代表である嶋田洋平さんから提案されます。いきなりのことでした。

嶋田さんの妻である玲子さんは、雑司が谷でカフェ「あぶくり」を営んでいます。自らも地域内で子育てと仕事を両立させたいと考える玲子さんが「あぶくり」を始めたのは、「地域に暮らすお母さんたちに、ほっとひと息つく場を提供したい」という想いから。それがようやく周知され始めたことも感じながら、次のステップとして、嶋田さんと「パン屋を始めたい」と考えたそう。

仕事と育児との忙しい日々に悩んだ経験をした自分だからこそ、日常のなかにあるちょっとした幸せを大事にしたい。「焼き立てのパンが食卓に並ぶことや、友人とお気に入りのカンパーニュとチーズとワインで乾杯する休日。それだけで日々の暮らしが少し特別になる」と玲子さん。パンなら「あぶくり」と連携してサンドイッチのパンにも使用できる上に、味も自分たちで開発できるということも魅力でした。

職業柄、空き家の活用についての相談が多いという軍司さんは、「お店を一からつくる過程に興味がありましたね。自分の身で経験することで、自分の経験を踏まえたアドバイスができる設計士になれたらと思ったんです」と、嶋田さんの提案に賛成しました。

しかし、そこには重要な問題が。なんと、ここに居るメンバーは誰もパン屋で働いた経験がなかったのです。そこで嶋田さんは、鳥取の人気パン屋「ル・コションドール」のオーナーシェフ倉益孝行さんに相談。「2週間の研修でパンはつくれる?」と聞いたところ、倉益さんは「アポロ計画くらい難しいと思うけど、できるようにする」と引き受けてくれたのです。

「嶋田さんによると、昔から建築家になりたい人は丁稚奉公のような下積みを経験しなければならなかった。薄給でも頑張って、やっと建築家になったそうです。どうやらパン屋さんの世界も同じで、夢を叶えられない人も多いみたい。それで倉益さんと『パン屋づくりに革命を起こそう』と決めました。たとえ素人でも、2週間でパン屋になれる仕組みをつくれたら、パン屋をやりたい人への希望になるんじゃないかな?と思ったんです」(軍司さん)

その後、建築事務所のスタッフと玲子さんで会社を設立。軍司さんも取締役になりました。「あぶくり」でスタッフとして働いていた正木さんは、立ち上げ後に、店長としてプロジェクトに加わることに。

「大学では建築と都市計画を勉強していたんです。私の地元は長崎の平戸という島なんですけど、いつか地元の人と一緒に島を盛り上げたいと思っていて。いずれつくりたいお店があるので、(パン屋は)良い経験になると思って受けました」(正木さん)

こうして、一見、無謀とも言える建築事務所が率いる挑戦が始まったのです。

STEP 02 物件の複合的活用

複数のレイヤーで物件をシェアし、家賃を抑える

上)リノベーション前の物件。中央にある3階建ての物件を活用。もとは個人住宅だった(地図データ: Google、DigitalGlobe)
下右)ルームシェアをして暮らす写真家の阿部大輔さんと貼り絵作家の小倉ももこさん。その他にふたりのルームメイトが加わり、現在4人が暮らしている(撮影:林裕介)
下左)共有スペースには住人たちの作品が置かれ、まるで小さなギャラリーのよう(撮影:林裕介)

エリアは「あぶくり」がある雑司が谷から徒歩10分ほどのところにある早稲田に決定しました。住宅に囲まれた場所。地域の人から「あの辺りはパン屋がないのよねぇ」と聞いていたそう。嶋田さんが借地権を購入した物件を1階はパン屋、2〜3階は賃貸住宅として運用することにしました。

2階の住人となった写真家の阿部大輔さんは、知り合いとシェアで入居できる物件を探していたところ、嶋田さんの物件を紹介してもらったそう。

「写真家としての独立を考えて、準備のためにまずは家賃を減らそうと思ったんです。でも不動産会社から『男女だと関係がもつれるから』と断られ続けて(笑)。嶋田さんと会って物件を見せてもらって、即決しました」

家賃はひとり4万円。立地や広さから見ても格安です。「住人たちが刺激し合うクリエイティブスペース」と、阿部さんはここでの暮らしを表現し、気に入っている様子。部屋がひとつ足りなかったため壁を増やしたそうですが、それ以外はもとのまま。工事費はオーナーである嶋田さんが負担しました。

賃貸住宅の家賃で安定した収益が出ることもあり、1階のテナントの家賃は5万円まで下げ、工事期間中もフリーレントの形にすることができました。「資金が少ないなか、経営面としてこの利点は大きいですね」と軍司さん。

ひとつの物件を複数のレイヤーでシェアして活用することで双方にメリットが生まれ、テナントによってエリアの価値を高めることが出来るので、良い循環が生まれています。

STEP 03 事業計画を立てる

2週間の特訓で「発酵」と「成形」をマスターする

上)「倉益さんが手掛けるパンはもちもちしていて、小さくてもちゃん食べ応えがあるのが魅力」と軍司さん。スタッフ総出で特訓(撮影:宮田サラ)

物件が決まり、いよいよ倉益さんとパン屋のイメージづくりが始まりました。

「最初は商圏を広めに見込み、値段も少し高めに設定していたんです。でも、倉益さんに『あまり高すぎるのは良くない』『近くに住んでいる人も買いやすい値段設定が良い』と言われて、今の値段に調整しました」(軍司さん)

メイン商品となったのは、誰にも馴染みのある山食パン。「原価率は35%まで収められればロスまで含めて計算してもおよそ成り立つ」という倉益さんの教えのもと、一斤250円と買いやすい価格にしました。レシピも倉益さんからの提供。メンバーはたった2週間しかない研修に全力を注ぐのみです。

「研修では、とにかく『発酵』と『成形』に集中しました。機器さえあればある程度のことは素人でも出来るんですけど、発酵ばかりは職人技。研修が終わって自分たちだけでつくると、最初は失敗ばかりで……。『こんな生地になった!』と倉益さんに電話すると、『それはここが問題なのでは?』と、遠隔でもちゃんと原因を想定して指示をくれるので、なんとか私たちでつくり続けることができました」(軍司さん)

2年の回収計画で見積もった事業への初期投資金額は、総額680万円。厨房機器の購入費に60万円、厨房工事費に240万円、ファサードの工事費に80万円、塗装費などに10万円、備品購入費に70万円、予備費に60万円。残りは半年分の運転資金としました。厨房機器はリースサービスを活用することでメンテナンス費を抑え、倉益さんのアドバイザー料は売り上げの数%という形で支払うことに。設計費や店舗デザイン費はもちろん自社で行ってコストを抑えました。

それらの資金は、資本金が100万円(設立メンバーがひと口5〜10万円ずつ出資)、外部出資が330万円、日本政策金融公庫からは250万円の融資を受けました。さらに、プロモーション効果も見込んでクラウドファンディングにも挑戦。知り合いからの支援を想定していたはずが、「パン屋ができるのが嬉しい!」と地域の人からの支援もあり、目標金額を超える金額を達成しました。

STEP 04 開店準備とリノベーション

地域に馴染む姿を目指して、自分たちでD.I.Y.

上)タイル貼りは職人さんに指導してもらいながら自分たちで行った(撮影:嶋田洋平)
下左)岐阜県にある釉薬工場まで足を運び、タイルの色付けも一枚ずつ自分たちの手で。グレーに見える釉薬が焼くと深緑色になる(提供:TILE_made)
下右)ロゴはデザイナーの明石卓巳さんが担当。「プロダクトとしても成立するようなデザイン」を意識したそう(撮影:リリリリノベーション編集部)

店舗デザインと設計は、軍司さんと小沢彩さんが担当しました。実は建築事務所での勤務もまだ2年目の26歳の軍司さん、初めての担当案件! どんなところにこだわったのでしょう?

「いま流行りのお洒落なパン屋よりも、昔からある店が『3代目に変わって少し素敵になりました』みたいな、古さのなかに新しさも感じるデザインにしたくて。最初は『正面の外観も黒に塗ろう』という案もあったんですけど、そこまでやると元々の建物を『そこだけ全部変えた』っていう感じになってしまうので嫌だなと。なので、手を加えるところは少なめにしました」(軍司さん)

ずっと前からその場所にあったような、地域に馴染むデザインにしたい。そんな想いから、店の顔となる外観のタイルは「TILE_made」の玉川さんにオーダーしました。使い手とつくり手の間に立ち、タイルの開発から施工まで一貫したサービスを提供する玉川さん。「深い緑色にしたい」とイメージだけ最初に伝え、何度も試作を重ねて完成させたそう。厨房の白いタイルは玉川さんがワケありの廃棄品を集めて送ってくれたので、送料だけで済みました。

しかし、現場に予期せぬトラブルはつきもの。建物の図面が古くて基礎の位置が分からず、什器を載せたら床が抜けてしまう心配があったり、設計の段階で厨房の開口部をギリギリまで確保したのに、いざメーカーの人が機械を持って来たら備え付けの靴箱が邪魔をして「入りません!」と言われてしまったり。「結局、床は全部抜いて土間打ちに変更しました。機械も3人掛かりでどうにか入りましたね」と軍司さんは笑います。

他にも、「冬のタイル貼りは、寒くて想像していたよりも酷だった!」など苦労話は尽きませんが、同時に初めての案件だからこそ、店に対する愛情も言葉の節々から伝わってきました。そんなこんなで駆け抜けた9ヶ月、ようやくオープンの日を迎えます。

STEP 05 ついにオープン

自分たちのまちは、自分たちの手で豊かにする

上)晴れた日は愛犬の散歩がてら立ち寄る人も
下左)計30種類ほどずらりと並ぶ。なかでも山食の生地を使った「塩パン」は、すぐに売り切れてしまうため、地域のお母さんたちのなかでは“幻の塩パン”と呼ばれている
下右)ショーケースのデザインは「HandiHouse Project」が担当(撮影:すべてリリリリノベーション編集部)

直前まで準備に追われ、予定していたチラシ配りなどは出来なかったそうですが、いざ蓋を開けてみると、地域の方たちがたくさん訪れてくれたそう。

「D.I.Y.をしていた時に目の前を通った人たちが『ここで何が出来るの?』と聞いていて、気になって来てくれたみたいです。あと、近所にあるお豆腐屋さんに『今度パン屋やるんですよ』と言ったら、その方がすごい口コミを広めてくださったみたいで、そこの常連さんたちも来てくれました」(正木さん)

また、クラウドファンディングのリターンに設定した「10%オフ券」も、来店のきっかけになっているそう。お客さん層は、地域の子育てお母さんたちや近所のドックラン帰りのペット連れが中心。最初はオープンの時間にパンが揃わなかったり、形が安定しなかったりしたこともありましたが、それでも「また来るわね」と言ってくれる方もいるそう。「本当に地域の人に育ててもらっています」と正木さん。

オープンから5ヶ月。常連さんもついて来て、売り上げは想定以上でした。しかし、材料費が見込みよりも掛かったこと、包材など日々の営業で掛かる費用を見込んでいなかったこともあり、支出が予想よりも多くなってしまったのだとか。また、雨だと来客数が減り、売上げに影響すると言います。

それでも、パンづくりが趣味のパートさんが入ってくれたおかげで、週3日だった営業日を週4日(取材当日は週4日だったが、2017年8月より週5日に変更)に増やすなど、出来ることからこつこつ前進しています。「このエリアはコーヒーを売っている店がないので、今後はコーヒーを提供しようかなって考えています」と軍司さん。

おふたりにこの経験をこれからの仕事にどう活かしていくのか、尋ねてみました。

「私の地元も神田川ベーカリーのように行く目的となる場所が無ければ行かないような場所。なので、地元に帰ったらこの経験を活かして、みんなが来てくれるようなお店を地元の人たちと一緒につくりたいと思っています」(正木さん)

「やっぱりベーカリーだけじゃなくて、周りにもお店ができてエリア全体の価値を上げたいと思っています。将来、『住宅街で何にもないところだけど物件を持っていて、どうしたら良いのか分からない』という相談が来た時、そのオーナーさんにちゃんと自分の経験を踏まえて『こういうことをすれば周囲にも波及効果を生んでいけるので、一緒にエリアを良くしましょう』と伝えられるようになれたら良いですね」(軍司さん)

建築チームがパン屋を、と聞いて、「プロじゃないのにパン屋なんかできるはずがない」と思った方も多いのではないでしょうか? 軍司さんも正木さんも「本当に素人の私たちができるのか不安だった」と何度も話していました。しかし、彼女たちの目的は完璧な味のパンを提供することではありません。大切なのは、“まちづくりのプロ”として、まちに必要な声を見つけて、自分たちで提供する仕組みをつくったこと。そして、エリア全体の価値を上げること。「神田川ベーカリー」の挑戦は、まだ始まったばかりです。

原山 幸恵

Writer

原山 幸恵

たらくさ株式会社アシスタントエディター。Happy Outdoor Weddingライター、リリリリノベーション編集部として、全国各地のまちの光景を追いかける。まちと公園をめぐる『Picnic in Tokyo』プロジェクトリーダー。自転車でまちを走るのが好き。

パン屋

神田川ベーカリー

2017.11.16更新

  • 住所

    東京都豊島区高田1-11−14

  • TEL

    070-6971-0731

  • URL

    www.kandagawabakery.com

  • OPEN

    11:00〜19:00 
    定休日:日・月(2017年8月より週5日営業に変更)

    ●Instagram
    kandagawa_bakery

  • 運営

    株式会社神田川ベーカリー

ページトップへ