まちの期待値を上げる、
月イチマーケットからの空家再生
エリア再生/都市計画家が開くマーケット 丹波・枚方・三田など
Writer済木 麻子
株式会社サルトコラボレイティヴ代表取締役の加藤寛之さんは、自らを「都市計画家」と称します。加藤さんの言う都市計画家とは、「地域の潜在的な魅力を編集して戦略を組み立て、事業の実行と検証を行うことで、地域の魅力を守り、育てていく仕事」。20世紀の都市計画と言えば、建てることがメイン。しかし、人口減少が本格化する21世紀には、すでにたくさんの使われていない建物や公共空間があり、機能を果たしていない”入れ物”は今後もどんどん増える流れにあります。
そんな現状を前に建てられたものを使い倒すためのまちの“ソフトウェア”を創るのも21世紀に必要とされる都市計画家の仕事ではないかと考える加藤さんが、遊休不動産のリノベーションや老舗店舗とのコラボによる新商品の開発にとどまることなく作り出すのは、まちのなかで、まちにとっての新しい顧客や市場の創造における仮説を立てながら試行錯誤できる機能を持つ仕掛けです。その仕事は、たしかに、「まち」というハードウェアの中にソフトウェアをつくり出しているかのよう。
そして、そのひとつが、各地で月に1回定期プロデュースしているマーケットです。
上)「丹波ハピネスマーケット」。陣屋の面影が残るまち並みのなか、こだわりのフードや手作りの雑貨など個性あふれる店舗が出店する(撮影:小島穂高)
下)毎月第2土曜日に開催される「丹波ハピネスマーケット」。市内外から約60店舗が集まり軒を連ねる(撮影:小島穂高)
上)1999年ごろの丹波市柏原町まちなか。かつては城下町として、その後も丹波の中心として賑わっていたこのまちも、次々と閉店が続きシャッター商店街になった(写真提供:高田 昇)
加藤さんがまちづくりの仕事を志すようになったのは、大学生だった頃のこと。都市再生の仕事の老舗とも言える株式会社COM計画研究所代表の高田昇氏に授業で出会い、衝撃を受けたと言います。そして、高田を師として仕事を手伝うために、関西を中心に課題を抱えるまちを数多く訪れることになります。そんななかでも特に印象に残ったのが兵庫県丹波市(当時:氷上郡)柏原町のまちでした。
かつて柏原藩の城下町として栄え、明治からは国や県の出先機関が集中し、多くの人が集まる賑やかな中心地だったはずのまち。しかし、2000年ごろのまちからは、その面影は消え、歩く人の気配、若い人の気配が全く感じられなくなっていたのです。
「まちなかで商売をする人が少なくなり、ロードサイドが商業の中心になりつつあった。ロードサイドに出店している人であっても、柏原の中心をどうにかしなければいけないと思っている状態だった」
地方のまちの課題としてはありがちなパターンですが、特に衝撃的だったのは、その衰退の早さでした。「本当にこのまちを再生できるのか?」という疑問を抱く一方、観光地化を盛り上げて一時的に人を呼びこむような手法とは差別化し、潜在的なまちの魅力を引き出して新しい価値を作り出していくことでこのまちは勝負できるはずだと感じたそう。
左)COM計画研究所所属時代に丹波にて町家のリノベーションを行った1軒目、「イタリア料理オルモ」。市内の女性たちが挙げるオススメスポットとして定番の人気を誇る存在になった
右)家具や照明にもこだわりのある、明治時代の町家の雰囲気を生かした内装(写真提供:すべて株式会社ご近所)
丹波市柏原町で町家リノベーションに携わるようになったのが2000年。ちょうど6ヶ月に渡るイタリア旅行で中小20以上のまちを訪れて帰国した加藤さんは、小さくても自分のまちを自慢し、オススメの場所を誇らしげに語る現地の人たちの姿に触れ、「(観光客向けではなくても)地元の人たちが愛してやまない場所があれば、まちも変わるのでは」と感じます。
そこで、「丹波に住んでいる人が、都会の友人を招きたくなるような場所を」という考えのもと、町家をリノベーションしてイタリア料理店をオープンするという挑戦が始まりました。この事業に賛同する人から出資を募り、まちづくり会社を設立。町家をリノベーションし、そのまちづくり会社がイタリア料理店を経営するという方法を提案しました。しかし当時、出資者の中心になるであろう地元の50~60代には新しい建物の方が価値があると考える人が多く、古い建物をリノベーションして飲食店にするなどという提案はとうてい理解しがたいものでした。
そこで地域に住む20代~30代の女性に集まってもらい、新しく建物を建築するか、町家をリノベーションするかで希望を聞いてみると、全員がリノベーションに賛成してくれたのです。そんなやりとりもきっかけとなり、出資者となる地元の町家リノベーションへの理解が徐々に得られるようになりました。
2000年10月、「イタリア料理オルモ」がオープンすると行列ができ、売り上げも地域のトップクラスに。この事例が加藤さんの自信となり、その後、同様の手法で誘致とリノベーションを行い、10店舗の出店を実現させました。しかし、補助金の申請や事業者の誘致には思わぬ労力がかかる。そのうえ、まちづくり会社には融資を受けてもらわなければならない。そんな苦労からも行き詰まりを感じていました。
上)毎月第2日曜日に大阪府枚方市で開催される手作り市、「枚方宿くらわんか五六市」。枚方宿歴史街道を散策しながら200店を超える出店を巡る(提供:枚方つーしん)
行き詰まる状況に光を射したのが、大阪府枚方市でスタートさせた月イチマーケット、「枚方宿くらわんか五六市」でした。
「枚方宿くらわんか五六市」が生まれたのは2007年。その背景には、枚方宿のまちの課題がありました。人口40万人いる枚方市の中心であり、宿場町の面影も残る枚方宿。しかし、いくら町家の外観を修景して、まち並みをいくらキレイに整えても、まちの活気が戻らないのです。それを見た加藤さんは町家バンクを設立。時を同じくして、全国的な町家ブームも訪れ、5軒の町家になんと100店舗もの申し込みが殺到。そこで、選考の一環として申込者の「商売の仕方」を見ようとマーケットを始めることにしたのです。
初めは大変だった集客や運営も2年目には軌道に乗り、現在の出店数は約250店舗、1店舗当りの出店料は3,000円前後なので毎月の売上は75万円程。出店者の対応や当日までの準備に専任のスタッフを置くことが可能となりました。
マーケットの強みは3つあると加藤さんは言います。ひとつ目は、安価な場所代で出店できるシステムを利用してプレ起業や市場調査ができたりと、新たなチャレンジを応援できること。ふたつ目は、「市場の見える化」ができること。地域内のこれまで見られなかった層がまちに出てくるのです。3つ目は、まちで何かを企てる起業家と常にネットワークをつくれること。
しかし、この手法は各地で応用できると加藤さんが仮説を立てると、「枚方という、駅近の40万人都市だからできるのでは」と投げかける声が多くありました。ならば、丹波で成功させて仮説を実証してみせよう、と加藤さんのさらなる挑戦が始まったのです。
左)お客さんには若くておしゃれなママも多い。会場近くの「お旅所」で食事を楽しむ光景も
右)運営は10名程度の実行委員、3名の事務局スタッフだけでなく、毎回5名程度の有志ボランティアに支えられている(撮影:すべて田代春佳)
「丹波の暮らしやすさを知りながらも、遊びに行くとなると神戸や大阪に出てしまうという人たちに『丹波っていいよね』って思ってもらえる空間をつくりたい」
これが、丹波ハピネスマーケットのコンセプトでした。有志のメンバーで集めた資金約100万円と、地域団体を応援する補助金約100万円を使ってプロモーションや看板づくりを行い、2013年、いよいよ丹波でもマーケットがスタートしました。
いざ蓋を開けてみると、20代~30代の女性や若いファミリー層が多く来場し、「この地域にはこんな人がいたのか」と気付く、「市場の見える化」が起こりました。そして、マーケットに出店することでファンが付き、自信をつけた出店者や、マーケットに出店はしなくてもその賑わいを見て「このまちなら何かできる」と感じた人たちが起業していく、という予想外の効果が生まれます。
「僕たちはまずまちにプラットフォームをつくる。プラットフォームをつくったらそこに未来のプレーヤーが勝手に来て、勝手に目標を見つけて事業を立ち上げてくれる。それが面白い」と加藤さんは語ります。
左)丹波ハピネスマーケット出身の人気店「キャリー焼菓子店」。丹波市春日町にある古い納屋をリノベーションした温もりある空間(撮影:rerererenovation!編集部)
右)出店者だけでなく、実行委員もマーケットをきっかけに起業。人気雑貨店「アンティーク&セレクトショップ三光堂」(撮影:田代春佳)
やがて、丹波ハピネスマーケットをきっかけに、新しいお店がいくつも生まれました。しかも、地域の空家を再生しての開店です。そのひとつが、「いつか、お菓子屋さんになれたら」という夢を持ってマーケットでスイーツを販売していた女性による「キャリー焼菓子店」。マーケットへの出店当時は、加藤さんも自ら積極的に購入することで勇気づけ、軌道に乗るまではお客さんに喜んでもらえる方法を考えて声をかけたりと、まるで自分ごとのように伴走しました。やがて焼菓子の味、ディスプレイの独創性などがお客様の心に届いてファンが増えたことで自信が付き、開業が実現。開店から2年経つ今も、地元の人や市外の人が次々訪れる人気店です。
一方、マーケットを立ち上げた事務局メンバーからも、起業した人がいます。マーケットに雑貨店の出店があればと各所で打診するも、なかなか出店者に巡り会えないなか、「だったら、私が好きな雑貨をセレクトするのはどうか」と発案し、事務局メンバー自らがハピネスマーケットへ出店したのです。マーケットで根強いファンが生まれ、「お店を開いてほしい」という言葉に励まされ、実店舗としてもアンティーク系セレクトショップを開業。開業時には加藤さんの会社でグラフィックを担当するなどのサポートも行いました。
柏原をはじめとし、市内に町家を利用した開店はこの4年で5店舗以上。「事業者誘致を手掛けていたころよりも早いペースでお店ができています。僕たちが直接的に大きな労力やお金をかけていないところも含めて、ひとりでにまちにお店ができていく。丹波ハピネスマーケットのビフォーとアフターで、丹波の雰囲気は大きく変わりました」と、加藤さんは笑顔を見せます。
上)「サンダブランチピクニック」での一枚。マーケット当日は加藤さん自身も現地で楽しむ(撮影:中川知秋)
下左)ニュータウンに流入した住民に三田の魅力を伝える「サンダブランチピクニック」(撮影:rerererenovation!編集部)
下右)伊賀の食文化、城下町文化を再認識する場「伊賀風土FOODマーケット」(写真提供:伊賀風土FOODマーケット)
そのまちに応じたコンセプトをしっかりつくれば、このマーケットは同じ手法で応用していくことができると、丹波枚方を含む9ヶ所でマーケットのプロデュース・運営し、また他4ヶ所でアドバイザーを務めてきた加藤さんは言います。
例えば、「伊賀風土FOODマーケット」を展開する三重県伊賀市では、「忍者というコンテンツで観光を誘致するだけでなく、かつて城下町として栄えた風土を活かすこと」を重視し、日常に残る城下町文化や質の高い食など、地元の人にとっての“当たり前”が外の人にとっては素晴らしいものだということを伝えるマーケットをつくりました。さらに、2017年3月には、丹波市の近郊である兵庫県三田市でも「サンダブランチピクニック」を新たに展開しています。
「ニュータウンとして知られるまちですが、ニュータウン層がまちを自らの地元と認識していない状態で、愛着がなければ人口が減っていくのではという懸念があります。三田ももともと城下町で町家があるので、町家とマーケットを組み合わせることでまちの期待値を上げていこうと思っています」
まちがもともと持つポテンシャルの高さに、まず中の人が気付くこと。あるものの魅力をまず地域の人たちに向けて打ち出していくこと。それが「まちの期待値を上げる」ということだと言う加藤さん。どの地域に展開するときも大切にしているキーワードです。
マーケットの効果は、楽しいイベントとしての集客性と見られがちですが、「市場の見える化」が起こり、「まちの期待値」が上がるところに本当の価値はあると加藤さんは言います。事業者誘致のために制度や補助金ばかりを活用しなくても、20~30代のお客さんで賑わうマーケットが定期的に開くことで、まちのポテンシャルが見えてくる。そしてその光景が潜在的なプレーヤーに「このまちならチャレンジできる」という手応えを与えるのです。まちの価値を引き出しながらさらに新しい価値を打ち出していく仕掛け、月イチマーケット。各地の週末を賑わせながらチャレンジの小さな芽生えを育て続けます。
Writer
済木 麻子
エリア再生
2017.11.16更新
兵庫県丹波市柏原町 柏原八幡神宮駐車場横
★マーケットリスト
【丹波ハピネスマーケット】
毎月第2土曜日 10:00~15:00
Instagram:tamba.happiness.market
【芦原橋アップマーケット】
毎月第3日曜日 10:30〜16:00(7月〜9月はナイト開催)
reedjp.org/up
【伊賀風土FOODマーケット】
毎月第2日曜日 10:00〜15:00(7月〜9月はナイト開催)
dacolabo.org/market
【サンダブランチピクニック】
毎月第3土曜日 11:00〜16:00(7月〜9月はナイト開催)
brunchpicnic.jp
【大東ズンチャッチャ夜市】
毎月最終水曜日 16:00〜21:00
daitoyoichi.com
【食と暮らしのマルクト@おおすみ】
毎月第4日曜日 10:00〜16:00(7月〜9月はナイト開催)
ohsumiyamori.com/markt
【中之島漁港フードラバーズマーケット】
毎月第1土曜日 11:00〜16:00(7月〜9月はナイト開催)
flm.blog.jp